入社:1997 年
M.K.
※所属はインタビュー当時のものです。
大学時代は半導体の素材について研究していました。そんな私が最初に配属されたのは宇宙開発の電源分野。スケールの大きなプロジェクトで、経験も知識もない私に務まるのだろうかと不安になりましたが、とにかくやるしかないと心を決めて必死に取り組みました。困難なプロジェクトで失敗もたくさん経験しましたが、苦労しながらも自分の手がけたものがカタチになっていく喜びを学べました。あの快感は一種の毒のようなものだと思います(笑)。
その後、
CDA(キャリアデザインアドバイザー)に
なろうと考えたのはなぜですか
約19年間エンジニアとして働いてきて、若い仲間と一緒にチームで挑むことが増えてきました。もっと若い人たちに成長してもらわないといけない、会社として真剣に教育に取り組む必要があると考えるようになり、自らCDAへの異動を希望しました。CDAになってからは社員育成の仕組みづくりに力を注ぎ、育成環境はずいぶん整備できたと思っています。
大手自動車部品メーカーのECUの開発業務にプロジェクトマネージャーとして携わっています。このプロジェクトはテクノプロにおける重要な新規プロジェクトであり、私に白羽の矢が立って再びエンジニアになりました。社内の期待を背負いながらプレゼンを行った結果、お客さまの想いを受け止められる会社として当社を選んでいただけることに。プロジェクトはまだ途上ですが、お客さまからは期待に見合う高い評価をいただけています。
エンジニアとして活躍する一方で、社内の組織整備にも関わっているそうですね
はい、プロジェクトと並行して会社全体の仕組みづくりにも携わっています。CDAになって会社の育成方針を理解し、再びエンジニアになると見える景色が変わっていました。業界全体の構造として、ものづくりの現場と本社の間にはどうしても多少のギャップがあるものです。私は両方の立場を経験した人間として、お互いの想いを伝えながらギャップを埋めていきたいと思っています。
入社したばかりの頃は、誰かの指示に従って仕事をしていました。それが入社3年目頃から、自分で考えて行動することを求められるようになり、もがいて失敗しながらも前に進んでいきました。5年目の頃には大きな仕事を任され、約100人もの人の前でプレゼンをすることもありましたが、なんとかやりきることができ、自分に自信が持てるようになりましたね。お客さまからも社内からも、いろいろな経験をさせてもらえたと思います。
成長のチャンスはどのようにつかんできたのですか
自由にやらせてくれるのがテクノプロの良さなので、自分から「やらせてほしい」と声をあげてきました。とはいえ、私ほど自由なエンジニアはあまりいないかもしれませんね(笑)。20年以上も勤めていると転職を考えたこともありますし、他社から誘いの声がかかったこともありました。ですが、「結局マネジメントをやるのだろう」と先が見えてしまうのは面白くない。だからこそ、チャンスを与えてくれるテクノプロで働き続けています。
エンジニアであり管理部門でもあるという立場から、現場のエンジニアと社内の架け橋になりたいと考えています。「なれたらいいな」という程度の軽い気持ちではなく、「なるしかない」という強い覚悟を持っています。誰かが挑戦する必要があるのなら、自分がやるしかない。そんな気持ちで今の仕事に取り組んでいます。
エンジニアとしてキャリアを歩むうえでアドバイスをいただけますか
約19年間エンジニアとして働いてきて、若い仲間と一緒にチームで挑むことが増えてきました。もっと若い人たちに成長してもらわないといけない、会社として真剣に教育に取り組む必要があると考えるようになり、自らCDAへの異動を希望しました。CDAになってからは社員育成の仕組みづくりに力を注ぎ、育成環境はずいぶん整備できたと思っています。
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